父の日はアメリカが発祥で、提唱したのはワシントン州に住むジョン·ブルース·ドット 夫人 (Mrs. John Bruce Dodd)。彼女の、父に対する思いから生まれました。
ドットの父、ウイリアム·ジャクソン·スマート氏は、北軍の軍人として南北戦争(1861年~1865年)に召集されます。その間、母親が女手ひとつで一家を支え6人の子供(男5人、女1人)を育てましたが、父親の復員後、過労によってこの世を去ってしまいます。
父親は、残された子供たちを男手ひとつで育てあげ、6人が成人してから他界しました。戦後の大変な時代を、再婚もせずに懸命に働いた父親の姿を見て育った子供たち。その末っ子ドットが、父を称えて「父の日」を提唱したのが始まりで、父親の誕生月にあたる6月に「父の日」ができました。
「父の日」には「母の日」の影響がありました。
ドット夫人によって提唱された「父の日」でしたが、その広がりには「母の日」の影響があるようです。わかりやすく時系列でご紹介しましょう。
●1908年:アンナ·ジャービスが「母の日」を提唱する
●1909年:「母の日」を知ったジョン·ブルース·ドットが、「父の日」も作って欲しいと牧師協会へ嘆願する。
●1910年:ウェストバージニア州が「母の日」を認定する。
●1914年:5月の第2日曜日を「母の日」として制定し、国民の祝日となる。
●1916年:「父の日」が認知されはじめる
●1923~:第30代大統領のジョン·カルビン·クーリッジが、「父の日」の意義を提唱する。
●1926年:ナショナル ファーザーズ·デイ コミッティがニューヨークで組織される
●1972年:6月の第3日曜日を「父の日」として制定し、国民の休日となる
こうして「父親を尊敬し、称え祝う日」として世界的にも広がりました。
父の日のプレゼントは?
今ではさまざまな贈り物をしますが、本来、母の日がカーネーションだったように、父の日はバラを贈りました。ドット夫人が父親の好きだったバラを選び、白いバラを父のお墓に供えたことに由来します。
バラは何色?
ドット夫人が供えたのは白いバラですが、父親が健在なら赤いバラ、他界された後は白いバラを贈るという説もあります。(このへんも母の日のカーネーションに似ています)
日本では?
日本では、1947年に公式に5月の第2日曜日が母の日となりましたから、父の日が広がったのはそれ以降。70年代でも、それほど認知されてはいませんでした。
やがて、1981年に社団法人日本メンズファッション協会を母体とした「FDC 日本ファーザーズ·デイ委員会」が設立され、父の日が国民的イベントになっていきます。同委員会では黄色を提唱し、「父の日黄色いリボンキャンペーン」や「ベスト·ファーザー発表·授賞式」などの活動を行っています。
黄色や黄色いリボンの由来ですが…
「イギリスでは古来、「黄色」は身を守るための色とされていました。
「黄色」がアメリカに渡って「黄色いリボン」となり、「愛する人の無事を願うもの」となりました。」(「FDC 日本ファーザーズ·デイ委員会」の「黄色いリボンの由来」より抜粋)
こうした活動が実を結び、日本では黄色を父の日カラーにするところが多いのです。プレゼントに黄色いリボンを結ぶのも、そのためです。花に関していえば、黄色いバラやヒマワリのほか、白いバラ、白いユリなども支持されています。 小语种站编辑整理
(责任编辑:中大编辑)