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爱
宫本百合子
爱ということばは、いつから人间の社会に発生したものでしょう。爱という言叶をもつようになった时期に、人类はともかく一つの飞跃をとげたと思います。なぜなら、人间のほかの生きものは、爱の感覚によって行动しても、爱という言叶の表象によってまとめられた爱の観念はもっていませんから。
更に、その爱という言叶が、人间同士の思いちがいや、だましあいの媒介物となったのは、いつの顷からでしょう。そして、爱という字が近代の伪善と自己欺瞒のシムボルのようになったのはいつの时代からでしょうか。三文文士がこの字で幼稚な読者をごまかし、説教坛からこの字を叫んで戦争を煽动し、最も軽薄な爱人たちが、彼等のさまざまなモメントに、爱を嗫いて、一人一人男や女をだましています。
爱という字は、こんなきたならしい扱いをうけていていいでしょうか。
爱という言叶をもったとき、人间の悲剧ははじまりました。人类爱という声がやかましく叫ばれるときほど、饥えや寒さや人情の刻薄がひどく、阶级の対立は鋭く、非条理は横行します。
わたしは、爱を爱します。ですから、このドロドロのなかに溺れている人间の爱をすくい出したいと思います。
どうしたら、それが可能でしょうか。わたしの方法は、爱という観念を、あっち侧から扱う方法です。人间らしくないすべての事情、人间らしくないすべての理窟とすべての欺瞒を憎みます。爱という感情が真実わたしたちの心に働いているとき、どうして漫画のように肥った両手をあわせて膝をつき、存在しもしない何かに向って上眼をつかっていられましょう。この社会にあっては条理にあわないことを、ないようにしてゆくこと。憎むべきものを凛然として憎むこと。その心の力がなくて、どこに爱が支えをもつでしょうか。
爱とか幸福とか、いつも人间がこの社会矛盾の间で生きながら渇望している感覚によって、私たちがわれとわが身をだましてゆくことを、はっきり拒絶したいと思います。爱が圣らかであるなら、それは纯洁な怒りと憎悪と适切な行动に支えられたときだけです。そして、现代の常识として忘れてならぬ一つのことは、爱にも阶级性があるという、无爱想な真実です。
〔一九四八年二月〕
人物について
宫本百合子:作家。旧姓は中条、本名はユリ。东京生まれ。日本女子大学英文科中退。1916(大正5)年(17歳)坪内逍遥の绍介で中条百合子『贫しき人々の群』を「中央公论」に発表。1918年父精一郎と渡米。翌年コロンビア大学聴讲生となるが、ニューヨークで古代东洋语の研究者荒木茂と知りあい结婚。12月帰国。1924年离婚。以後ロシア文学者汤浅芳子と同居生活に入る。この间『伸子』执笔に専念。1927年12月汤浅とともにソ连に外游。滞在中に西欧旅行など経たのち1930(昭和5)年11月帰国。翌月日本プロレタリア作家同盟に加入。1932年2月宫本顕治と结婚。1933年12月スパイ容疑により顕治検挙。翌年中条から宫本へ改姓。败戦までの厳しい期间のなか百合子も投狱?执笔禁止などをくりかえしながら作家活动に励む。1945年10月顕治釈放。夫とかわした书简はのちに『十二年の手纸』として刊行。戦後も社会运动?执笔活动へ精力的に取り组み多くの作品を残した。
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(责任编辑:xy)